10月2日の時点ですでに3人の犯罪者である検察官が逮捕されている、
最初の逮捕者の罪名は証拠隠滅罪なのかどうか要するに事件の押収資料を改ざんしたということらしい。
その後の上司であった2名は犯人隠避の疑いで組織的に不正を握りつぶしたと言う事だそうだ。
待ってもらいたい第一の罪であるらしい証拠品の改ざんとは噴飯ものである。
そもそも村木事件を捏造しなければFDなどは証拠品にもなっていないのであるから彼の罪名は【検察の権力を無条件に恣意的に行使して無実の市民を陥れるために事件を捏造した罪】であるはずだ。
誰が見ても有罪である麻薬犯罪組織のボスを有罪にするために証拠を捏造したのとは全く異なる人非人の行いである。
それを目くらましするために、さも本当の事件のなかで証拠を捏造したというふうに世間の目をごまかしているにすぎない。
馬鹿なメディアは一瞬たりとも疑問に思わず検察からの情報を垂れ流しているだけである。
2人目、3人目にしても同様に人非人が白状したにも関わらず自身の保身のためだけに第一の人非人が改悛する機会さえ命令で奪ってしらばっくれたのであるからその者たちの罪は犯人隠避などではなく【保身のために国民から任された絶大な権力を自身の保身のためだけに使用した罪】であるはずだ。
メディアの反応はどうだ、やれ検察の信頼の失墜だとか特捜が無くなるとか、身内に捜査をさせてもよいのかなどというもっともな意見に対しての検察の「我々は捜査のプロであり、ちゃんとやるから黙って見ていろ」という回答をもっともなことだというように無批判に垂れ流すのみである。
政府が第三者の操作機関を任命して捜査させるのが法治国家であるならば当然の行為であり、それを行っていない事にして何の批判も許さないし、そもそも批判さえでないということ自体、法治国家ではない証拠である。
テレビにインタビューされた国民の「しっかり捜査して明確にしてほしい」といういい加減な発言でわかる通り、国民に当事者意識も権力を監視する義務の意識もないのである。
この問題が3人の逮捕ですむにしろ、(検事総長の目くらましの辞任くらいあるかもしれないが)もう少し逮捕者がでるにしろ、日本が法治国家足り得るかどうかのポイントは2つしかない。
一つ目はこの事件が【検察が事件を自由に捏造した事件である事】を理解する事である、そうすればこんなことが簡単に起こってしまっているという事実はこれが稀なケースではなくこれまでにも多数起こっていた可能性があるという事に気づくはずである。
そうすると二つ目のポイントが明らかになるはずである。
それは今回の事件に関わって逮捕あるいは処分された検察官が過去に扱った事件全てをもう一度不正がなかったかの視点で洗いなおさなければならないという事である。
そのためには当然外部の特別チームを組成して何年かけても完遂する必要がある。
もしそのような事が今後起こってこないとすれば、この国には正義はないと諦めることになろう。
尖閣諸島の当て逃げ中国人船長を超法規的な判断をして釈放したと言い張る検察官の頭の中には検察の独立性という概念もないし、自身の判断で法律を曲げることは許されると考えている何よりの証拠であるからして、事件捏造検察のDNAは沖縄にもすでに入りこんでいるということになる。
そして両方の事件に関して何の発言もしない検事総長とは総理大臣よりも偉いと本人は信じているに違いない。
軍隊と警察と検察は暴力に裏打ちされた国家権力である。
そのものたちを批判することは確かに恐ろしい。
しかし恐ろしくとも批判はしなくてはならない、ましてやそれを仕事に選んだメディアは。
もし国民の低レベルがメディアの低レベルをもたらしているだけだと開き直るのであればメディアは少なくとも自らを「卑下」するべきだ。
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