■原発を認めることの意味■
「原発が無いと日本の経済活動のためのエネルギーが足りない」という議論は後付けで、当初導入時の言い訳は「コストが安く・安全性も極めて高くあるために全力を尽くすので結果としてきわめて安全」「軽微な事故はいざ知らず深刻な事故は起こりようがないので考える必要はない」というものであったはずだ。
しかしながらその時点ですら日本が地震大国で「大地震は必ず来る」は自明であった。そうであれば、
[1] 大地震に襲われる危険性を知りつつ、
[2] 老朽化した原発をどのようにして廃炉にするかを決められず、
[3] 放射能汚染物質の保存場所も保存方法も決められない状態で、原発を推進してきたのには明確な目的がありそれは現在でも引き続き目的であり続けていると考えるほうが自然である。
40年前に地球温暖化が問題になっていたわけではないし、その時点でさえ水力発電・太陽光発電・風力発電などの技術はあった40年前に石油と石炭を燃やす以外には原子力発電しかなかったと言うことはできない。
それでは原発を作り使用する本当の目的は何か?
イラン・イラク・北朝鮮・パキスタン・インドなどなどで原発の開発は核クラブに忌み嫌われる。なぜか?
つまり原発で使用された核燃料はそれを濃縮することにより核兵器の材料となるからである。
核兵器を持たないにもかかわらずこれほど多くの原発を国際社会から何一つ文句を言われず動かし続けているのは日本だけであろう。
つまり米国の核の傘の下に日本がある限り、日本が核兵器の材料を作り続けることに文句は言わないという事である。
ましてや日本には化石燃料資源が少ないという言い訳が長く存在した。
そして日本には有事に備えて(またもや戦争ができる場合に備えて)一定の比率の人間は核兵器を保有したがっている。
不必要な戦争を起こすのはいつの時代も「自分は戦地に赴かない」事を確信している権力者であり、平和な時こそそういう輩が増殖する。
日本の核燃料の濃縮はフランスと英国で行われてきたのも彼らが戦勝国=国連=安全保障会議メンバーであることを考えれば、日本は彼らの管理下で国土を汚染の危険にさらしながら彼らに核兵器の材料を提供し続けてきたともいえる。
その意味でも日本の戦後は終わっていない。
■原発を認めることの次世代への責任■
現在徐々に国民が知ることになった、30〜40年という廃炉までの期間、放射性物質の気の遠くなるような半減期間、最終処理場を作ることのみならずそれをまたもや気の遠くなるような期間安全にとどめ置く事など、今を生きている人間が決定していい事がらは一つもない。
50年、100年後の日本人の意見を聞くべきことである。
そして未来人に尋ねる事が不可能であるのであれば、現時点で将来に禍根を残すことは控えるのが当然の思考というものであろう。
野田総理が言う「将来の世代に負担を残さないために復興債の償還は短期間で行うべき」との発言はなんという忌まわしい言い草であろうか。
その言葉の背後には「原発を再稼働してできるだけ長く使用し、それによって高まる人体と環境へのリスクは将来世代がかってに解決すればよい。
どうせ我々世代はその頃には死んでいるさ。」という責任の隠蔽がある。
それを言うなら「将来世代の不安をできるだけ取り除くために期限の長い原発廃止債券を発行し今から全ての原発を廃炉にする為の行動を起こす。
これであれば将来の世代も納得してくれるかもしれない。」というべきであろう。
■原発を認めることは何を認めることか市民は理解しているか■
原発を認めることは放射能汚染を認めることであり、核開発を認めることであり、ひいては核兵器を使用しそして使用される事を認めることである。
現在のFUKUSHIMAの事態は核武装国家にとってはたいへんなショックが醒めた後の極めて興味深い実験の場になっている。
[1] | 継続的な人体への外部被ばくと内部被ばくの影響を長期間にわたり観察できる。 通常の国であれば最も汚染された地域から国民を長期間避難させ(チェルノブイリのように)るため、このような観察をすることは難しい。 しかしFUKUSHIMA においては、放射能濃度の軽減=全体では同量の放射能を単に広く分散させるだけ=除染、というごまかしを弄し、「生まれ故郷に住みたい」という人間固有の感情を利用して被曝地に居住させ続けることができている。 |
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[2] | どの程度の保障や関係者への懲罰で国民は被曝を諦めることができるかを見定めることができる。 |
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[3] | 上記の(1)と(2)が予想より軽微であるかもしれないという結果が出た場合は何が起こるであろうか? 限定的な地域に対する核兵器の使用の禁忌が取り除かれるかもしれない。 FUKUSHIMAが怒りを持てないならば、彼らはパンドラの箱を空ける事になる。 |
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[4] | これほど長期間の海洋への放射能汚染物質の垂れ流しもかつて起こったことが無く、海産物への蓄積とそれを食すことによる被害にしても大きな研究対象となる。 日本は島国であった事と主な海洋汚染が太平洋側であることに感謝すべきであろう。 これがもし日本海側であればすでに中国とロシアの海軍が海域を支配下においたのかもしれない。 農産物汚染の連鎖も同様であり、島国であるからこそ日本からの他国への食物等による汚染物質の移転は比較的たやすく回避できている。それを元通り輸出したいと考える政治家は各国から見れば単なる道化だ。 |
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[5] | そもそも、FUKUSHIMA原発を製造した大手メーカーや運転してきた電力会社やそれを監視してきたはずの省庁の官僚や政府に対してなんら処罰が下されたという話は聞かない。 マスコミも加害者の一方的な報告を垂れ流すという無責任を続けている。 責任のないところに進歩はないのであるから日本の原発に進歩はない。 という事は第2のFUKUSHIMA が起こるという事である。 FUKUSHIMAこそ壮大な実験場と化しつつあり、全ての国民は程度の差こそあれ「島に隔離された実験中のモルモットと実験を待つモルモット」となった。 |
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■少なくとも30才以下の国民が判断すべき事-老人に決定権はない■
今後汚染された環境で生活し子育てをしていくのは若い世代である。
細胞代謝が衰えてがんで死ぬか放射能で死ぬかに大差のない老人が、「大したことない」などというのは大罪である。
そんな連中が将来世代に復興債のコストを背負わせてはならないなどとご都合主義の言い草をするのである。
老人の干渉のない中で若い世代の日本人がFUKUSHIMAとどう向き合うかを決めるべきである。
■それでも原発を稼働しようとする者の最低の義務-自身と家族が戦地に赴け■
それでも原発を稼働させようとするもの達が国民を欺くためにマスコミと一体になって理屈を弄する場合、ほとんどの国民には真実を見定めるすべがない。
そうであるならば最も納得のいく解決方法は次のようなものになろう。すなわち官僚や政治家や大企業家や電力会社の責任者は安全なところにいて見かけだけの給与カットなどの取り繕いをする必要はない。
ただしそれほど「安全に自信がある」のであれば、原発に最も近いところに住んでいる住民のとなりに住宅を建てて移住すればよい。
もちろん子供も孫も一緒に住まなくてはならない。
それができるのであれば国民は安全神話を信じるのかもしれない。
なんと簡単な解決方法であろうか。
ついでに言えば核武装をして海外派兵を画策する人々は、一旦事が起これば本人のみならず子供まで日本軍に入り最前線に行くべきであろう。
日本人は何時から危険の外にいて市民のみを危険にさらすものを指導者と考えるようになったのであるのか。
■なぜ日本だけが原子爆弾もメルトダウンも甘受することになったか ■
不思議な事がある。
核兵器を持たない日本は2回も核兵器の爆発を見た。
そして核兵器をもたたない日本は核武装国である国のチェルノブイリやスリーマイルよりも過酷な原発の放射能汚染を防げなかった。
なぜかつてのソ連や米国や核クラブの国々ではなく日本なのか。
単に偶然で済ませたい人は多いであろうが、それですまない理由があるのかもしれない。
それが「日本人の無関心・事なかれ・そして排他性」に理由があるのであれば再び同じことが起こることになろう。
FUKUSHIMAの次もFUKUSHIMAにならないことを神に祈る。
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