- 米国はジハーディストと同じ土俵に立った。 「力の正義」を選択した以上、米国の言葉を真実と受けとめる物はいなくなった。
■中東の混乱■
チュニジアに始まった中東での政権転覆の連鎖反応、それに触発された国連・NATO・米国の武力介入、そしてパレスチナのハマスとファタファの和解、米国による武器を持たないウサマ・ビンラーデンの口封じのための殺戮など、およそ民主的手続きを無視した行動の数々…。
ブッシュ前政権のネオコンが行った強引な手法を正すと宣言して選ばれた大統領が、ネオコンも真っ青な行動に出ている。
米国の視点から見て世界が米国の覇権を長続きさせない方向に動いていることに対する焦りとも言える反応であろうが、米国を最も米国たらしめてきた道徳的&民主的な正義を捨てれば、あとは力の正義しか残らない。
米国が形成した民主化の新原則:
【政権批判がデモで始まり、それを武力で押さえれば、その政権は即座に打倒すべき独裁政権となり、反政府団体は自動的に民主化運動体となる。
そして現政権をいかなる方法でも打倒する事が正統化される。】
こんな理屈がいつ世界標準になったのであろうか?
この理屈で行けば、複数の武器を持たない人民がどこかの広場に集まり、現政権が無条件且つ即座に退くまではデモを止めないと唐突に宣言し、デモを継続し、しびれを切らした現政権が警察であれ軍隊であれ治安維持組織を出動させデモ隊側に怪我人を出せば、その政権は正当性を自動的に失うことになるらしい。
その怪我人が出たことを理由に群衆が投石でもすれば後は自動的にエスカレートしてしまうのは人間心理として明らかであり、その後は国連軍かNATO軍か米国軍が爆撃すれば現政権はなんなく倒れるというわけだ。
そのようにして新たに出現した政権は一体何者であろうか?
そのような事は深く考える必要はないらしい。
独裁者を倒した反政府軍は民主的政権となるに違いない事に異論をさしはさむ余地は無いらしい。
しかしこの理屈で行けば中国やロシアに先導されたグループが米国内でデモを継続して政府を挑発し、米政権がこれを停止させようとする際に死人が出れば、中国やロシアは米国の現政権を打倒するために戦争行為を開始することが正統化されるという事にもなりえる。
(実際には中国やロシアがこのような行動に出ることはこの理屈にはない。
なぜならばそのような行動を許されるのは米国だけであるという不文律も同時に存在しているに違いないからである。)
チュニジアを傍観した米国は、その後のエジプトで道を誤った。
米国が「民主化をしろ」などと過去の経緯を忘れたように大声で叫びムバラク政権を倒せば、その後に続々と続くものが現れ最後には中東のバランスを破壊することになるのは認識すべきであった。
万一それらの動きの最終章が単にイランをも民主化の流れが襲い、米国に都合の良いイランが出現するかもと期待したとすれば米国の現政権に外交専門家はいないことになる。
そしてもしその動きの最終章がイスラエルの立ち位置を急激に変化させ、サウジアラビアをも飲み込むことによりアラビヤ半島に大変革をもたらし、その後アラビヤ半島全てを民主化するという戦略に基づいてのものであるならばたいへんな博打を打ったということになる。
しかしながら戦後の復興の方法論を持たずに単にイラクのフセイン政権を倒した過去を見る限りにおいては、米国にそのような戦略は無いと考えるのが正解であろう。
ムバラク打倒までは米国の予想の範囲内であったようだが、それに続くカダフィの思わぬ徹底抗戦とシリアへの飛び火、そしてファタハとハマスの和解によるイスラエルの焦り、そしてパキスタンを敵に回す事をいとわずビンラディンの隠れ家と報道された邸宅への主権侵害の攻撃は当初から計画されていたものではないであろう。
特にビンラディン殺害作戦の不自然さと説明の準備不足からは米国の大きな焦りが見える。
イスラエル援助とモスリム同胞団によるアラブ支配の恐怖とイランに対する手詰まりなどを打開するためにはもはや綺麗ごとの警察官では対処できなくなったという事であろう。
しかしながら米国がイスラエルと同様に目的のためには手段は選ばないと公言した事は、米国の意図とは逆に中国・ロシア・その他の独裁者そしてテロリストを喜ばせた可能性がある。
欧州はロシアのエネルギーに依存し、アフリカも中国に押さえられつつある欧州は、すでに中国とロシアに対峙する能力と意思は乏しい。
米国も石化燃料の供給先である中東を押さえるためになりふり構わず、民主主義とか法律の手続などの正義を振りかざすことを止めてしまった事で中国やロシアの足枷を外してやったことになる。
今後中東は大規模紛争の可能性が飛躍的に高まったと言える。
「道徳的&民主的な正義」を獲得するまでに人類がどれほど時間をかけてきたかを考えれば、一旦それを捨ててしまえば、「力の正義」は簡単には衰退しないと判断するのが自然であろう。
そして日本の福島原発の事故はこの流れを形成した原因の一つでもあった。
今後日本以外の先進国では原発の新設が困難になり、石化燃料への依存度=中東原油への依存度が高まってしまったからである。
■「日本における市民と国家の対立」は始まるか?■
そのなかで日本の取るべき道は?
中国と米国の両方が「力の正義」を選択している以上、日本が自衛のための軍備増強をする必要があることはあまりに明白だ。
しかしここで大きな問題がある。
誰を守るための軍隊であるかという事だ。
かつては国と市民は同一と考えられていたが、現在世界で始まりつつあることは「市民と国家の対立」である。
今のままの日本で軍備拡張を行えば国家のための軍隊ができるであろう。
しかし市民が求めるのは当然市民を守る軍隊である。
日本において市民と国家の対立が先に起こるか、軍備増強が先に起こるかによってその軍隊の性格は大きく異なることになろう。
「東京電力原発事故による広域長期間の放射能汚染被害」に対する政府と官僚の動きを見れば、企業である東電を救済し被災者である市民を見殺しにしようとしている事が徐々に見えてきつつある。
国家は大企業と一体感を持っている(大企業は実はそう思っていないはずであるが)。
普通の国家は支配する意思を持っている支配層が存在するゆえに市民と対立するのであるが、国家イコール大企業経済であって支配層が存在しない日本においては、市民が対立するのは大企業ということになる。
その意味では今回の「東京電力原発事故による広域長期間の放射能汚染被害」が 「日本における市民と国家の対立」のきっかけになりえるのかは注目に値する。
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